ホンダにまつわる豆知識を紹介する当連載第9回目。前回第8回まで、ホンダのモデルコードやプロダクトナンバーのことをアレコレ紹介しましたが、モデルコードやプロダクトナンバーが与えられているものの、実際世の中に出ることのなかったモデルは実は少なくありません。今回とりあげるホンダCR112(026)も、そんな1台でした・・・。

1962年の市販レーサー、CRシリーズ

前回(第8回)で1997年発売のDOHC4バルブ機構を搭載する50ccモデル・・・ドリーム50のこと、そしてそれの元ネタになった市販レーサーである1962年のCR110のことにちょっと触れました。

画像: アメリカのバーバー・ミュージアム展示のホンダ カブレーシングCR110。カム駆動にチェーンを用いる量産公道用モデルのドリーム50と異なり、市販レーサーとして開発されたCR110は吸気・排気の4本のバルブを全ギア=カムギアトレインで駆動してました。一般的なチェーン式のバルブトレインに対し、この方式はより正確なタイミング制御ができるのが特徴で、1960年代のホンダGPロードレーサーに好んで採用されていました。 ja.wikipedia.org

アメリカのバーバー・ミュージアム展示のホンダ カブレーシングCR110。カム駆動にチェーンを用いる量産公道用モデルのドリーム50と異なり、市販レーサーとして開発されたCR110は吸気・排気の4本のバルブを全ギア=カムギアトレインで駆動してました。一般的なチェーン式のバルブトレインに対し、この方式はより正確なタイミング制御ができるのが特徴で、1960年代のホンダGPロードレーサーに好んで採用されていました。

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画像: こちらは保安部品付きのCR110。当時の国内クラブマンレースのレギュレーションを意識して企画されたものです。 www.honda.co.jp

こちらは保安部品付きのCR110。当時の国内クラブマンレースのレギュレーションを意識して企画されたものです。

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ほかの1962年製CRレーサーに比べ、CR110はファクトリーマシン(RC110)に近似した構造・諸元が与えられていました。国内外のロードレースで活躍した名機であるCR110は、今ではコレクターズアイテム化したため非常に高価な値段で取引されております・・・。

名機、ホンダ カブレーシングCR110の後継機種!?

さて、CR110が発売された1962年の世界ロードレースGPでは、新たに欧州選手権から格上げするかたちで50ccクラスが創設されました。ホンダは4ストローク単気筒のRC110などで、新ジャンルの覇権奪取を狙いましたが、同じ日本のスズキや、独クライドラーの2ストローク単気筒レーサーが強く、この年参戦した350、250、125、50ccの4クラスで唯一タイトルを取り逃がしてしまいます(初年度王者はスズキRM62に乗る、エルンスト・デグナーでした)。

ライバルメーカーの2ストローク単気筒レーサーはホンダ製4ストローク単気筒レーサーに対し、構成部品の少なさ、フリクションロスの少なさ、排気量あたりの出力を得やすい・・・などなどの利点がありました。そこでホンダは2ストロークのライバルに勝つには、まずは多気筒化・・・ということで、単気筒のRC110やRC111に代わる後継機にDOHC2気筒のRC112を開発します。

画像: 1962年、同年会場した鈴鹿サーキットで開催された「第1回全日本選手権ロードレース大会」で、トミー・ロブのライディングによりデビューウィンを飾ったRC112。カムギアトレイン式DOHC2バルブの2気筒を搭載。最高出力は10ps以上!でした・・・。 www.vf750fd.com

1962年、同年会場した鈴鹿サーキットで開催された「第1回全日本選手権ロードレース大会」で、トミー・ロブのライディングによりデビューウィンを飾ったRC112。カムギアトレイン式DOHC2バルブの2気筒を搭載。最高出力は10ps以上!でした・・・。

www.vf750fd.com

その後ホンダはRC112の「2気筒路線」で2ストローク単気筒のライバルと戦いますが、最大のライバルであるスズキを打ち負かすのは難しく、1962〜1964年の3年間は雌伏の期間を強いられることになりました。

しかし1965年は、ついにラルフ・ブライアンズがホンダ初の50ccタイトルをラルフ・ブライアンズが獲得。当時ライバルのスズキRK65は水冷2気筒まで進化していましたが、もうひとりのホンダライダーであるルイジ・タベリの活躍もあり、強敵を破ってのライダー/メーカータイトル独占を果たしたのです!

画像: 1965年最終戦となった日本GP(鈴鹿サーキット)50ccクラスで、1-2フィニッシュを決めたL.タベリ(奥)とR.ブライアンズ(手前)。この年のRC115(2気筒DOHC4バルブ)は13.6ps/20,500rpmという最高出力を誇り、ブライアンズとタベリの2人が7戦中5勝という好成績を残しました。 www.honda.co.jp

1965年最終戦となった日本GP(鈴鹿サーキット)50ccクラスで、1-2フィニッシュを決めたL.タベリ(奥)とR.ブライアンズ(手前)。この年のRC115(2気筒DOHC4バルブ)は13.6ps/20,500rpmという最高出力を誇り、ブライアンズとタベリの2人が7戦中5勝という好成績を残しました。

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ホンダのモデルコード、プロダクトナンバーの表を見ると、CR110(025)に続く位置にCR112(026)というモデルがあることがわかります・・・。公に登場することのなかったCR112というモデルは、ファクトリーマシンRC110と市販レーサーCR110の近似ぶりから想像するに、1962年「第1回全日本選手権ロードレース大会」に優勝したRC112に近似した、2気筒DOHC2バルブエンジンを搭載! する前代未聞の市販レーサーだったのかもしれません・・・。

この真相を明らかにするには、ホンダの研究所のマイクロフィルム保管庫に盗みに入って、当時の図面のなかから「RC112」のものを探しださないと無理でしょうね・・・(不法侵入・窃盗は犯罪です)。まぁ、いつの日にか、犯罪以外の方法でRC112の真相を明らかにしたいです・・・。

ホンダのモデルコード、プロダクトナンバーの表を見ていると、CR112以外にもいろいろ謎? の機種があることがわかります。その前後の番号・記号の機種とかから、それがどんなモデルだったのか・・・を想像するのはなかなか楽しいです(※個人の感想です?)。

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