連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。第10回は、「バラードスポーツCR-X」です。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

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バラスポことバラードスポーツCR-Xはコンパクトな2+2クーペとして1983年7月に登場した。そのスタイリングは今見ても新鮮だ。というかこの時代だからこその味がある。セミリトラクタブルヘッドライトとしたスリークなノーズ、前席優先のキャビン、ゲートを設けたリアはスパッと切り落とす。そのテールはアルファロメオのジュニアZ風でカッコ良かった。

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それでもってリアシートは「1マイルシート」、つまり我慢できるのが1マイルと完全におまけ。要は「倒して2シーターとしてお使いください」というもの。ユニークだったのがルーフベンチレーション。室内からレバーを引くとルーフに潜望鏡のようにダクトがせり出し外気を導入するシステムだった(後にゴミが詰まるとのことで廃止されたが…)。

全長×全幅×全高は3675×1625×1290mmでしかなく、ホイールベースはわずか2200mm、車重は830kgに過ぎなかった。上級グレードの1.5iは1.5L直列4気筒エンジンで気筒当たり3バルブSOHCの最高出力110psを発生、その走りは元気そのものだった。

バラスポは、対米のエコカーとして企画された。当時流行っていたセクレタリーカー、つまり若い女性がひとりで使うことを想定し50mpgカー(ガロンあたり50マイル=21.25km/L)を狙った。ところが国内では同時期にトヨタからFRスポーツのレビン&トレノ(AE86=通称ハチロク)が登場。バラスポはFFスポーツとしてライバル視されることになった。

確かに短いホイールベースゆえシャープなハンドリングはスポーツ然としていた。ホイールベースを除き、エンジンをはじめフロントのトーションバースプリングなどメカニズムは2カ月遅れで登場するシビック及びセダンのバラードと共通だった。バラスポは先行実験車的要素も持ち合わせていたのである。

FFスポーツとして広く認められたホンダは次なる一手に打って出る。ハチロクの4A-G型1.6L直列4気筒DOHCエンジンに対抗すべく、ZC型1.6L直列4気筒DOHCエンジンをバラスポに搭載するのだ。それも5ps上回る最高出力135psで。Siとサブネームが付いたバラードスポーツCR-Xは、ZC型エンジンのロングストロークが生み出すトルクフルさ、それでいて7000rpmまで吹け上る爽快さで大人気となる。

自動車雑誌業界でもバラードスポーツCR-X好きで知られるIカメラマンは、このSi(AS型)の前期モデルを27年間所有(今も!)し、オドメーターは67万8000kmに達すると聞く。彼の“AS”好きは半端じゃない。かく言う私も90年代後半に、彼の紹介でAS型を手に入れ暫く乗った。輸出仕様の固定式ヘッドライトとなった後期型でカラーは渋めのシルバー。

コンパクトゆえ取り回しは楽で、ZC型エンジンは街中から高速までオールマイティ、それでいて好燃費とあって大いに気に入っていた。だが、「ホンダ栃木研究所で欲しがっている人がいる」とのことで惜しみつつ手放すことに。現在も一部モディファイして通勤に使われていると聞く。今、所有しているCR-Xデルソルも彼の紹介で手にしたことを考えれば「まあいいか!」と。

80年代を駆け抜けたAS型バラードスポーツは地味ながらも光った存在だった。

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