戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、ホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は、1960年代GP活動期にホンダチームのキャプテンだったジム・レッドマンです!

友人の負傷というチャンスを活かし、ホンダワークスライダーへ・・・

1931年にロンドンで生まれたジム・レッドマンは、1952年にローデシア(現ジンバブエ)の移民となり、アフリカ大陸でモータースポーツとの関わりを持つようになりました。当初レッドマンは、ジョン・ラブという男が乗るクーパーF3(ノートンマンクス単気筒500cc搭載)の整備をして、ラブの活動をアシストしていました。

レッドマンの貢献に感謝したラブは、彼の所有するトライアンフGPとライディングギア一式をレッドマンに貸し、ロードレースに出場することを許可しました。このときが、レッドマンの輝かしいロードレースキャリアのはじまりとなったのです・・・。

アフリカでのレース活動を経て、レッドマンは世界GP参戦を1959年からスタートさせました。彼は当時数多くいたノートン350/500cc単気筒で活動するプライベーターのひとりであり、願いはひとつ・・・ワークスライダーの地位を手に入れることでした。

レッドマンが世界GPデビューした1959年にホンダもマン島TT初参戦を果たしたわけですが、初陣ながらチーム賞を獲得していたホンダについては、レッドマンは友人のトム・フィリスとともに注目していました。ローデシアと豪州・・・同じ英国植民地からレースをするために来たレッドマンとフィリスは、とても仲がよかったのです。

最初にチャンスを掴んだのはフィリスでした(T.フィリスについては、リンク先の過去記事をご参照ください)。1960年にホンダの125cc2気筒に乗るチャンスをフィリスが掴んだのは、彼が長身のレッドマンよりは背が低く、体重が軽いライダーが有利な125cc向きとホンダが判断したためでした。

長身の自分でも125ccで速く走れることをアピールするため、わざわざ元世界GP王者のケン・カバナーからドゥカティ125をレッドマンは購入していました。そんなホンダ入りを目論んでいたレッドマンにとっては、友人であるフィリスが先にその権利を掴んだことには、祝福と悔しさという複雑な思いを抱かざるを得なかったのかもしれません・・・。

しかし、その年のマン島TTの次戦となったダッチTTのプラクティスで、フィリスは転倒により鎖骨を骨折してしまいます。治療を受けた友人に、レッドマンは意を決して自分の意思を伝えました・・・つまり、フィリスの代わりに自分を乗せてくれと、ホンダに談判しようと思うことを、レッドマンは告白したのです。

自分が同じ立場ならきっと同じことをするだろう・・・と友でありライバルでもあるフィリスは、レッドマンの思いを理解しました。そしてホンダの125cc2気筒と250cc4気筒に乗ってダッチTTで戦うチャンスを得たレッドマンは、見事125ccクラス4位、250ccクラス8位という上々のホンダでのデビュー戦の結果を残しました。

画像: T.フィリス(左)とJ.レッドマン。初期のワークスライダーとしてホンダのタイトル獲得に貢献したふたりです。 www.facebook.com

T.フィリス(左)とJ.レッドマン。初期のワークスライダーとしてホンダのタイトル獲得に貢献したふたりです。

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ホンダで獲得した、6つのGPタイトル!

ダッチTTで得たチャンスをモノにしたレッドマンは、ホンダのワークライダーとして残りの4戦にも参戦。250ccクラスでは、アルスターGP3位、イタリアGP2位と表彰台を2度獲得する活躍ぶりを披露しました。

そして翌1961年こそ、プライベーターの立場でホンダに乗ったマイク・ヘイルウッドに屈し250ccクラスのランキング3位に甘んじますが、ヘイルウッドがホンダから離れた1962年は250ccクラスで優勝6回・2位2回という際立った成績でチャンピオンとなりました。

そしてこの年からホンダが参戦を始めた350ccクラスでは、その緒戦のマン島TTで事故死したフィリスの分まで奮闘し、優勝4回・2位1回という成績で、見事ダブルタイトルを獲得しています。

1963年もレッドマンは250/350ccクラスのダブルタイトルを防衛。1964年は250ccクラスのタイトルをヤマハRD56を駆るフィル・リードに奪われることになりますが、350ccのタイトルは3年連続で防衛することに成功。そして同年のダッチTTでは、125/250/350ccの3クラスで優勝するという偉業を達成しています。

1962〜1965年の間タイトルを独占したJ.レッドマンとホンダ350cc4気筒は、1960年代を代表するコンビネーションと言えました。

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1966年に惜しまれながら引退・・・

1965年も350ccのタイトルを4連覇したレッドマンは、1966年からホンダが参戦開始する500ccクラスのエースライダーに起用されます。長年、チームのキャプテン役をつとめたレッドマンに、GP最高峰のタイトルを取らせてあげたい・・・というホンダ側の思いがその背景にはあったと言われています。

そしてRC181(500cc4気筒)を託されたレッドマンは、見事に西ドイツGPとダッチTTで2連勝を達成。1950年代末から最高峰タイトルを独占し続けてきたMVアグスタから、ホンダがタイトルを奪うか・・・と多くのレースファンが注目しました。

しかし500ccクラスの3戦目であるベルギーGPでレッドマンは大クラッシュを喫し、左手と右足を骨折するという大怪我を負うことになります。以降のレースを欠場したレッドマンは復帰することも考えていましたが、結局怪我の影響が残ったために引退を決意することになりました・・・。

画像: 1966年西ドイツGP(ホッケンハイム)250ccクラスでの"ホンダ・シックス"の共演! 左がJ.レッドマン、右がマイク・ヘイルウッドです。 www.honda.co.jp

1966年西ドイツGP(ホッケンハイム)250ccクラスでの"ホンダ・シックス"の共演! 左がJ.レッドマン、右がマイク・ヘイルウッドです。

www.honda.co.jp

ワークスライダーとしてはホンダ一筋のキャリアを貫いたレッドマンは、通算45勝をホンダにプレゼントしました(125ccクラス4勝、250ccクラス18勝、350ccクラス21勝、500ccクラス2勝)。

クレバーなライダーだったレッドマンは、マン島TTのような危険なレースではツーリングに徹する、と・・・うそぶいたりしていましたが、それでも1962〜1964年の3年間、250/350ccクラスでTTダブルウィンを続け合計6勝をマークしています。

先日M.ヘイルウッドの41勝を抜いたマルク・マルケス(42勝、2018年タイGP終了時点)にいずれ抜かれることになるのでしょうが、45勝というホンダでの通算勝利数は、長らく歴代3位の記録としてホンダのレコードブック上で光り輝いております。

画像: Jim Redman wint TT Assen (1966) youtu.be

Jim Redman wint TT Assen (1966)

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