戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、ホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は、1960年代GP活動期に小排気量クラスで大活躍したスイス人ライダー、ルイジ・タベリです!

不遇のMV時代を経て、ホンダへ・・・

ルイジ・タベリは1929年9月19日、スイス、チューリッヒに近い小さな町、Horgenに靴職人の4人兄弟の末っ子として生を受けています。第二次大戦後、兄、ハンスの誘いによりサイドカーレースのパッセンジャーとして、初めてのレースをタベリは1947年に体験しました。

そしてタベリは建築技師の兄、フランツの会社で煉瓦積みとしての修行を始めますが、18ヶ月後にはハンスが新たに作ったモーターサイクルショップで働こうと決意しメカニックになることを選びました。

タベリの最初のモーターサイクルレース参戦は1948年でした。グラストラックレースに500ccのハスクバーナに乗り参戦したタベリは、見事3位完走という結果を残しています。レースのとりことなったタベリはその後、参加できるすべてのレースイベントに挑むようになりました。

当初は戦前型BMWがタベリの愛車でしたが、後にハンスが買った350ccのベロセットに自らチューニングを施したものに乗り換えことになります。タベリはこのベロセットで1952年度のスイスナショナルチャンピオンとなり、晴れて1953年度の国際レーシングライセンスを手にしました!

1953年、AJS 7Rに乗り再び350ccクラスのスイスチャンピオンに輝いたタベリは、サイドカーレーサーとして当時有名だったH.ハルデマンより、1954年に彼のパッセンジャー役を勤めてくれるのならば、350、500ccのソロのマシンに乗ってもいい、という内容のオファーを受けました。

そしてハルデマンと組んだタベリは、見事スイスのサイドカータイトルを獲得。また500ccのノートンで同クラスナショナルタイトル、さらに借り物のモトグッチで250ccのタイトルまで手中に収めることに成功しました。

この1954年シーズンの最も印象深い勝利は、偉大なイタリアのライダー、ネロ・パガーニと彼のMV4気筒に打ち勝ったことでした。このロカルノのレースを観戦していたアグスタ伯は、小さなスイス人ライダー・・・タベリの活躍ぶりに多大なる関心を寄せ、タベリをMVワークスチームに招へいすることを決めたのです!

画像: マン島TTで、MV125を駆るL.タベリ。 www.iomtt.com

マン島TTで、MV125を駆るL.タベリ。

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当時のMVアグスタワークスは、カルロ・ウビアリ、レモ・ベンチェリがともにナンバー1の座を争っていた・・・という状況でした。強敵でもあるチームメイトを相手に、1955年シーズンのタベリはウビアリに次ぐ125cc世界ランキング2位(1勝)、250ccでは4位(1勝)という立派な成績をおさめています。

ウビアリが素晴らしいライダーということに疑問の余地はありませんが、この年に彼がチャンピオンになれたのは彼がイタリア人だったため・・・という側面もありました。名手タルキニオ・プロビーニがFBモンディアルからMVに移籍してからは、さらに増えた贔屓のイタリアンライダーの後塵を浴びることにも、チームオーダーに忠実なタベリは耐えることを強いられることになります・・・。

ホンダワークスの小排気量クラスのエースとしての活躍!

1958年シーズン、MVを離れたタベリはドゥカティに乗ることになりました。速いが信頼性に欠けるドゥカティでタベリは奮闘しますが、125ccクラスのランキングは3位に止まります。そしてタベリは1959年、東ドイツのMZから2ストローク125ccワークスマシンのライダーとしてのオファーを受けることになりました(MZに乗れないときはドゥカティで参戦)。

近代ロードレース用2ストロークエンジンの創始者であるウォルター・カーデン技師が手がけたMZレーサーは、ドゥカティより速いマシンでしたが、残念なことに信頼性に欠けドゥカティよりさらに壊れるマシンでもありました・・・。結局同年は125ccクラス4位というランキングで終え、昨年よりも一歩後退した形となってしまいました。

1960年代は再びMVに乗りGPを走りますが、もしその後タベリがホンダワークスに加入しなければ、彼のレースキャリアは31歳で終わっていたでしょう。1961年からタベリはホンダに乗ることになりますが、当時ホンダチームはジョッキーサイズの125ccクラスに適したライダーを探しており、両者の希望はがっちり合致していたと言えるでしょう。

1962年マン島TT125ccクラス。優勝のL.タベリ(中央、ホンダRC145)、2位トミー・ロブ(左、ホンダRC145)、そして3位トム・フィリス(右、ホンダCR93)。

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1963年フランスGP。この年ホンダは前年の圧勝ぶりを受け、GPマシン開発のスピードを緩めます。250ccクラスでは、市販レーサープロトのホンダCR72(59番、L.タベリ車)をワークス4気筒に乗るJ.レッドマン(62番)のサポート役につかっていました。

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1966年マン島TTの50ccクラスで、RC116(4ストローク2気筒)の車上でスタートを待つL.タベリ。

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ホンダの期待に応え、タベリは1962、1964、1966年の125ccのタイトルを獲得することに成功します。このクラスで、当時最強のライバルだったスズキとヤマハの2ストロークマシンと激しい戦いを強いられたホンダは、独自の4ストローク技術で生み出した125ccレーサーを2気筒、4気筒、そして5気筒へと多気筒化して対抗。このクラスのエースとして、30代の大ベテランライダーはその責務を果たしたのです。

しかし、世界的なモペッドブームを背景に1962年から始まった世界ロードレースGP50ccクラスに関しては、タベリは運に恵まれませんでした・・・。1964年にタベリはクライドラーのために50ccクラスを走ったりしましたが、手動+足動=12段変速のクライドラーはタベリにマッチすることはありませんでした。

また1965年の(ホンダ初の、そして唯一の)タイトルは、タベリのあとにホンダワークスに加入した同僚のラルフ・ブライアンズに譲ることになってしまいました。最後の50ccタイトル獲得のチャンスだった1966年シーズン終了後、タベリは37歳でレースより引退。その後は自動車ディーラーの仕事に専念するようになりました・・・。

画像: 2006年に英国のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加したときのL.タベリのポートレート。世界各国のヒストリックロードレースイベントに参加し、ファンを楽しませてくれました。 www.honda.co.jp

2006年に英国のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加したときのL.タベリのポートレート。世界各国のヒストリックロードレースイベントに参加し、ファンを楽しませてくれました。

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今年の3月、残念ながらタベリは脳卒中の合併症で88歳の年齢でこの世を去ってしまいました。50ccクラスで6勝、そして125ccクラスで20勝・・・通算26勝というのが、タベリがホンダで記録した勝利のすべてとなります(ホンダ以外のGP勝利数は、125ccクラス2勝、250ccクラス2勝)。

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