今乗っているN-ONE 、運転席からリアシートに置いた荷物に手が届かない。私の前気味のドライビングポジションのせいばかりではない。それだけ室内が広いのである。

連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。(デジタル編集:A Little Honda編集部)

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MM思想はここから始まった。

これはホンダ伝統のMM思想のなせる業だ。そのスタートは半世紀前、1967年に登場したN360に遡る。全長3m、全幅1.3mという当時の軽自動車枠にもかかわらず、FFレイアウトに加えて、スペアタイヤもエンジンルームに収め、4人がしっかり座れて、かつリアにはトランクルームまで設けていたのだ。

エンジンやトランスミッションなどのメカを凝縮してノーズ先端に押し込むことで、残ったスペースをすべて人(マン)に費やすことに専念したのである。真横の透視図で見ればメカ部分は20%に過ぎない。たちまち大ヒットとなったのは言うまでもない。マンマキシマム、メカミニマムのMM思想はここから始まった。

71年登場のライフは水冷化とジアコーサ流FFレイアウト、つまりエンジンとトランスミッションを横一直線としたことでメカ部分はさらに縮小する。先述のように真横で見れば17%程度にまで追い込むことに成功する。ホイールベースが80mm延長されたこともあって4ドアも無理なく設定できたのである。この流れは大きなライフとも言うべき初代シビックへ、さらに大きなシビックでもある初代アコードへと受け継がれて行く。

 

画像: MM思想はここから始まった。

80年代に入るとMM思想はさらなる広がりを見せる。まずは81年登場のシティだ。

全長わずか3380mm、今の軽自動車以下のサイズにもかかわらず5人の定員と、リアに別売のモトコンポなる折り畳みオートバイまでも搭載可としたのである。ここで用いたのが全高を大きくすることで、乗員を足を投げ出さないアップライトに座らせるマジックだ。

画像: 80年代に入るとMM思想はさらなる広がりを見せる。まずは81年登場のシティだ。

そして83年には3代目シビック、ワンダーが登場する。ハッチバックながらロングルーフとすることで後席の頭上空間を確保。派生モデルとして5ドア版のシビックシャトルも加わったが、先述のシティの良さも取り込んでいた。このシビックの登場からホンダは正式にMM(マンマキシマム メカミニマム)思想を公言するようになったのである。

その後は低床化を推し進めることで、より快適な室内空間を提供することとなる。94年のオデッセイ以降のホンダ流ミニバンに乗ってファンとなった方も多いに違いない。

今に繋がるMM思想の大転換となったのが2001年に登場した初代フィットだった。

画像: 今に繋がるMM思想の大転換となったのが2001年に登場した初代フィットだった。

センタータンクレイアウトの採用である。リアが常識だったガソリンタンクを前席床下に収めたのである。これによって室内レイアウトは一変した。何しろ前席後方のフラット化が実現したのだからアレンジは自由自在となったのだ。

「リアにタンクを置いて同様の空間を手に入れるには20cmのホイールベース延長が必要でした」とは当時の開発者の話。センタータンクによる大革命はその後、軽自動車のNシリーズに引き継がれ、さらなるホンダファンを生み出すことに成功しているのである。

あなたがお乗りのホンダ車の快適な室内には、本田宗一郎さんの肝入りで始まったホンダのMM思想が息づいているのです……と言うお話でした。

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