戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今日に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は自身のキャリア最後となる4度目の最高峰500ccタイトルを、ホンダNSR500に乗って獲得したE.ローソンです!

F.スペンサーのライバル!

1958年3月に、米カリフォルニア州に生まれたローソンは、1980年代にGPで活躍した多くのアメリカンライダー同様、ダートトラックからロードレースに転向したライダーのひとりでした。

彼のキャリアを語る上で欠かせないライバルが、ホンダに乗り1983年のGP500ccクラス王者に輝き、1985年にはGP史上初の250/500ccダブルタイトルを獲得したフレディ・スペンサーです。

1979年、ローソンは米AMA250cc選手権でスペンサーに次ぐ2位の座を獲得。翌年の1980年と1981年はAMA250ccタイトル、そして1981〜1982年のAMAスーパーバイクタイトルをカワサキに獲得しますが、いち早くスペンサーは1982年より、GP500ccへのフル参戦をスタートさせていました。

AMA時代、カワサキワークスのエースとして活躍したE.ローソン。

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1983年、ローソンはヤマハのエースである"キング"ことケニー・ロバーツのチームメイトとして、念願のGP500ccレギュラーライダーになります。しかしこの年はスペンサーとロバーツの一騎打ちのシーズンとなり、ローソンはロバーツのタイトル獲得のサポート役を務めなければいけなくなりました。しかし、周知のとおり1983年500ccクラス王者の座はスペンサーのものとなり、ローソンがサポート役の責務を果たせなかったことを多くのメディアに指摘される結果に終わりました。

ヤマハのエースとして大活躍! そして世界を驚かせたホンダへの移籍!

ロバーツ引退後、ヤマハのエースとなったローソンはその期待に応え、GP初優勝含む4勝をマークして自身初のタイトルを獲得。翌1985年は好敵手スペンサーに屈しタイトル防衛に失敗するものの、1986年は6勝をマークして2度目の500ccタイトルを獲得します。

1987年は5勝するものの、新たにホンダのエースとなったワイン・ガードナー、そして同じヤマハ勢のチーム・ラッキー・ストライク-ロバーツに属するランディ・マモラに次ぐ年間ランキング3位に甘んじますが、1988年は7勝をマークして3度目の最高峰クラスの王者となります。

そのシーズンオフは、ローソンが日系米国人のアーブ・カネモトの運営するチームで、ホンダNSR500に乗ることになったというニュースで世界が沸き立つことになりました。迎えた1989年、ローソンは同郷の若手であるウェイン・レイニー(ヤマハ)やケビン・シュワンツ(スズキ)を相手に厳しいシーズンをおくることになりました。

1989年、ヤマハで獲得したチャンピオンナンバー「1」をつけたホンダNSR500に乗り、K.シュワンツ(スズキ、写真右)の前を走るE.ローソン。

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このシーズン、500ccクラスの最多勝はシュワンツの6勝でした。しかし同じ数のレースをリタイアするという安定感のなさから、シュワンツは年間ランキング4位に甘んじることに・・・。一方ローソンは年間4勝にとどまりますが、第2戦オーストラリアGPの5位と第5戦イタリアGPのリタイアを除いて、残りはすべて表彰台登壇という抜群の安定感で、ローソンは自身4度目の500cc王者という栄光を手にしました!

W.ガードナーが長期負傷欠場したことにより、1989年シーズンのE.ローソンはホンダのタイトル獲得という使命を一身に背負うことになりました。

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エースライダーのガードナーの好みもあり、最高出力最優先的な作りだった当時のNSR500ですが、当時の開発者の証言によると、ローソンはシフトフィーリングに至るまで事細かに、NSR500改良のためのアドバイス(クレーム?)を述べてきたそうです。

1989年のタイトル獲得後、ローソンはGPの世界では古巣のヤマハ、そしてカジバのライダーをして活動。1992年第9戦ハンガリーGPでカジバ初の500ccクラス優勝をプレゼントし、その年限りでGPから引退しました。

画像: 1993年の鈴鹿8耐で、ホンダRVF750で参戦したE.ローソン。 www.suzukacircuit.jp

1993年の鈴鹿8耐で、ホンダRVF750で参戦したE.ローソン。

www.suzukacircuit.jp

なおGP以外のホンダとの結びつきでは、GP引退後の1993年の鈴鹿8耐・第16回大会で、ローソンは辻本聡と組んでホンダRVF750に乗って参戦。カワサキライダーだった1980年以来の、2度目の鈴鹿8耐2位という成績をおさめています。

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