戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今日に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回取り上げるのは長年GPの世界で活躍したイタリアンライダー、L.カピロッシです。

最年少記録で初戴冠!

1973年にイタリアに生まれたカピロッシは、1990年に125ccクラスでGPフル参戦のキャリアをスタートさせました。この年、カピロッシは第10戦イギリスGPでキャリア初優勝を記録。この年ライバルのハンス・スパーンはシーズン5勝するものの、シーズン3勝で終わったカピロッシにポイントで敗れ、カピロッシは17歳165日という最年少記録で初タイトルをものにしました。

1990年、125ccクラスでRS125を走らせるL.カピロッシ。

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翌年も125ccクラスを走ったカピロッシはシーズン5勝を記録し、見事タイトル防衛に成功します。1992年からはホンダNSR250に乗り250ccクラスへステップアップ。しかし、1993年は原田哲也(ヤマハ)と接戦を演じるものの、最終戦で原田に逆転タイトル獲得を許すなど、3年間で250ccクラスのタイトルを得ることはかないませんでした。

300戦出場を初めて達成した息の長いライダー

1995年は最高峰500ccクラスに挑戦。この年、3位表彰台1回のランキング6位で終えたカピロッシは、翌1996年は初めてヤマハに移籍。この年の500cc最終戦のオーストラリアGPで500ccクラス初優勝を果たしますが、ランキングは10位と低迷しました。

1997年からは、アプリリアから再び250ccクラスに参戦。初年度はランキング6位に終わりますが、1998年は最終戦アルゼンチンでの原田哲也(アプリリア)との「遺恨試合」の末、自身初の250ccタイトルを獲得。前年度最終戦のイザコザもあり、1999年のカピロッシはホンダNSR250で参戦することになりますが、ランキング3位で防衛に失敗することになります。

2000年、L.カピロッシ。

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2000年からはホンダNSR500を駆り、最高峰500ccクラスへ再挑戦。地元イタリアGPでの優勝を含む4度の表彰台でランキング7位を獲得。MotoGPクラス元年となる2002年までポンス・チームのNSR500で参戦したカピロッシの活躍は、多くのファンを魅了しました。

その後2003年からはドゥカティのデスモセディチを駆り、2007年までに7勝をマーク。2008〜2010年はスズキに移籍するものの、表彰台は2008年チェコGP3位の一度にとどまりました。そしてキャリア最後の年となった2011年は、ドゥカティで参戦しました。そして現在、彼はドルナスポーツのセーフティアドバイザーなどの職をつとめています。

2010年シーズン開幕戦のカタールGPで、初の300戦出場を果たしたカピロッシは、非常に息の長いGPライダーだったと言えるでしょう。なおその記録は、328戦出場まで伸ばされることになりました。

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