「モータースポーツ」と一口にいっても、その種類は多彩。興味はあるけど、たくさんありすぎて何を見ていいのかわからない……なんて人も結構多いのでは? ここでは各競技の特徴や見どころをわかりやすくお届け。今回はモータースポーツの代名詞ともいえる『F1世界選手権』をご紹介。ホンダとF1といえば輝かしい歴史がありますが、苦難を乗り越え世界一にチャレンジしている現在のホンダの健闘もぜひ知ってもらいたいです!

F1世界選手権とは?

画像: www.formula1.com
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モータースポーツといえばF1を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。世界最高のドライバーが、最先端の技術が集約されたマシンを用いて世界各国を舞台に激しいバトルを行うモータースポーツの最高峰。

フォーミュラカーというレース専用マシンで行われる4輪レースの最上位クラスで、300km/h以上で争われるバトル、強烈なサウンドに振動、そして世界中のVIPが観戦に来る華麗な雰囲気など、まさに非日常を味わえるスポーツと言っていいでしょう。

初開催は1950年のイギリスGPで、今年で70周年を迎える歴史の長いカテゴリーです。シーズンは3月から12月まで行われ、日本を含め22か国で開催されています。各レースの順位に応じてポイントが与えられ、シリーズを通して最も多くポイントを獲得した“ドライバー”、そして“チーム”がチャンピオンとなります。

マシンは参戦するチームが技術規則に則って独自に開発、製作されたもの。決められたパーツも多いのでパッと見の形は同じですが、細かいところを見るとチームごとに違います。見比べてみるのも面白いですよ。

マシンだけでなく世界トップレベルのドライバーにも注目してみてください。個性的なキャラクターばかりですが、世界でたった20人しかなれないF1ドライバーになった超一流ドライバーばかり。まずは推しを探して応援してみてはいかがでしょうか。

F1とホンダ

画像1: ja.hondaracingf1.com
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1950年にスタートしたF1ですが、ホンダが初めてF1に参戦したのは1964年。すでに2輪で成功を収めていたホンダは4輪でも世界一になるため、F1参戦を決めました。4輪車の製作経験が浅く、レース用マシン作りの経験がなかったホンダは試行錯誤しながらもRA271を作り上げました。

初年度の64年と翌65年は苦戦を強いられたホンダですが、65年の最終戦メキシコGPでその力を発揮します。

そのレースは標高2000mの高地にある空気の希薄なサーキットで行われ、エンジンには非常に厳しい環境下でした。しかし、Hondaが開発した燃料噴射装置が威力を発揮! 決勝レースでリッチー・ギンサーの駆るHonda・RA272は、スタートからフィニッシュまでトップを守り切り初勝利を達成します!

67年のイタリアGPでも優勝を飾り、ホンダは68年に撤退するまでにF1で2勝を記録しています。しかし、ホンダがF1を席巻するのはもう少しあとの話です。

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戻ってきたホンダ

ホンダが再びF1に戻ってきたのは1983年。久々に現れたホンダのマシンはスピリット・ホンダ 201C。このマシンは好成績を残せなかったものの、この先訪れるホンダ黄金時代の序章となる重要なマシンとなりました。

翌84年にはF1参戦歴が短いながらも80年に世界チャンピオンを獲得したイギリスの新進気鋭チームであるウイリアムズとタッグを組み、復帰後初の優勝を達成します。

85年には当時のチャンピオンチームであったマクラーレンを相手に力強いパフォーマンスを発揮。信頼性が格段に向上し、自慢のマシンパワーを活かせるようになっていました。

86年はドライバーズチャンピオンに一歩及びませんでしたが、ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルの強力なコンビでコンストラクーズチャンピオンシップを制覇、87年にはドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンを達成し名実ともに世界一に輝きました。

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88年、ホンダはロータスとの関係はそのままに、ウイリアムズとの関係を解消し、マクラーレンと手を組みます。

マクラーレンには当時2度の世界王者に輝いたアラン・プロストとこの年マクラーレンに移籍したアイルトン・セナがホンダと共にF1を席巻。

イタリアGPを除くすべてのレースで優勝したセナ・プロコンビは16戦15勝という金字塔を打ち立てました。2度目の撤退となる92年までホンダはマクラーレン、そしてセナと共に3度のワールドチャンピオンを獲得し、F1界にその名前を刻みます。

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92年に撤退したホンダでしたが、2000年に、前年からF1に参戦したBAR(British American Racing)とタッグを組みF1に復帰。

表彰台には上がるものの優勝にあと一歩という状況が続きます。しかし難しいウェットレースとなった2006年のハンガリーGPで、雨が得意なジェンソン・バトンが巧みなドライビングテクニックと戦略を駆使し優勝、第3期のホンダとしては初優勝を達成。そしてこの時、38年ぶりに完全ワークスチーム(ホンダ直営のチームのこと)としての参戦だったこともあり、表彰台に君が代が流れ、日本中に感動を与えてくれました。

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リーマンショックの影響により2008年シーズンを最後にF1から撤退したホンダですが、2015年にカムバック!タッグを組むのはあのマクラーレン、黄金時代を作り上げた伝説の組み合わせが復活したのです。

ドライバーはワールドチャンピオン経験者のフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンという強力な布陣です。しかしF1から離れていたブランクはあまりにも大きく、3年間で最高位が5位と不本意な結果に終わってしまいました。そしてマクラーレンと決別し、2018年、ホンダはトロロッソのパートナーとなります。

苦難を乗り越え躍進したホンダ

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画像: 苦しい時期を乗り越えてついに掴んだ優勝。喜びを爆発するスタッフや、嬉しさと安堵の気持ちが涙となって溢れ出すスタッフなど、レッドブルのピットでは喜びにあふれていた。 www.honda.co.jp

苦しい時期を乗り越えてついに掴んだ優勝。喜びを爆発するスタッフや、嬉しさと安堵の気持ちが涙となって溢れ出すスタッフなど、レッドブルのピットでは喜びにあふれていた。

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マクラーレンとの厳しい3年間を過ごしたホンダは、イタリアのトップチーム「レッドブル」の姉妹チームでもあるトロロッソとタッグを組み、新たな体制でF1に望みます。

第2戦ではいきなり最高順位を更新する4位を獲得、その後も激しい中団争いを繰り広げ、母国GPとなる日本GPでは予選6位と7位を獲得するなど力強いパフォーマンスを発揮。この年の成績が認められ、2019年はトロロッソに加え、レッドブルともパートナーになります。

2019年の開幕戦でレッドブルの若きエース、マックス・フェルスタッペンがいきなり3位表彰台を獲得、その後スペインでも3位表彰台に上がり、優勝まであと一歩という状況でした。

そして第9戦オーストリアGPで念願の優勝を達成‼︎

2015年に復帰してから苦しい戦いが続いていたホンダにとって待ちに待った優勝です。その後もフェルスタッペンはドイツ、ブラジルでも優勝し年間3勝をマーク。今年はチャンピオン争いの一角として注目が集まっています。

画像: 2019年ブラジルGPの表彰式。優勝したフェルスタッペンと2位のピエール・ガスリー。絶対王者メルセデスとの一騎討ちに勝利し勝ち取ったワンツーフィニッシュに日本のホンダファンは歓喜した。 www.honda.co.jp

2019年ブラジルGPの表彰式。優勝したフェルスタッペンと2位のピエール・ガスリー。絶対王者メルセデスとの一騎討ちに勝利し勝ち取ったワンツーフィニッシュに日本のホンダファンは歓喜した。

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まとめ

画像5: ja.hondaracingf1.com
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開幕前のテストでも好調だったホンダ。しかし新型コロナウイルスによりF1開幕は延期となってしまいました。しかしこの度、7月3日〜5日にオーストリアで2020シーズンが幕を開けます。

残念ながら今年は日本での開催はありませんが、ワールドチャンピオン有力候補として今シーズンの戦いに挑むホンダに日本からエールを送りましょう!!

2020 F1 年間スケジュール

ラウンド開催地日程
開幕戦オーストリア7/5
第2戦オーストリア7/12
第3戦ハンガリー7/19
第4戦イギリス8/2
第5戦イギリス8/9
第6戦スペイン8/16
第7戦ベルギー8/30
第8戦イタリア9/6
2020年6月30日現在のスケジュール

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