連載『ホンダ偏愛主義』。自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員でフリーランスライターの河原良雄氏が、ホンダを愛するようになった理由を、自身の経験を元に紐解きます。当時の風景が目の前に浮かんでくるような文章に、いつの間にかあなたも引き込まれることでしょう。ホンダ偏愛主義Vol.22は、オートバイ感覚のホンダ初の軽乗用車「N360」です!(デジタル編集:A Little Honda編集部)

「ホンダ偏愛主義」前回の記事を読むならこちらから!

N-ONEのモチーフになったホンダ初の軽乗用車N360は1967年3月に登場している。なんと半世紀も前のことである。

画像1: 「ホンダ偏愛主義」前回の記事を読むならこちらから!

N360のNは「ノリモノ」の意味、360はエンジン排気量を指していた。LN360はライトバン(ライトバンのL)、TN360はトラック(トラックのT)という感じでネーミングされていた。

画像2: 「ホンダ偏愛主義」前回の記事を読むならこちらから!

N360は当時の軽乗用車の常識をことごとく覆していた。そこがなんともホンダらしいところだ。まずはなんと言っても高性能だった。オートバイの延長線上にあった空冷2気筒SOHCエンジンは最高出力31psを発揮し、最高速は115km/hを謳った。オートバイで世界一となっていたホンダにとっては、どうってことないスペックだったが、ライバルメーカーは真っ青になったことだろう。

何しろ空冷2ストロークで20ps、最高速は100km/hがやっとという時代だったのだから。またそれだけではなくいち早くFFを採用していた。エンジンの下にトランスミッションを配する、ミニに準じたいわゆるイシゴニス方式だった。これによってエンジンルームはコンパクトとなり、結果、室内空間を大きく取ることが可能となったのだ。

スペアタイヤはエンジンルームに置き、リアにはしっかりトランクルームを設けていた。今に繋がるホンダ流「マンマキシマム・メカミニマム」は半世紀前から始まっていたのである。とどめは価格破壊とも言える31.3万円という値札。1ps=1万円だ。35万円あたりが標準だっただけにまさに衝撃的なプライスだった。

「速い、安い、広い」となれば大ヒットして当然だろう。N360はたちまち軽乗用車ナンバーワンに躍り出る。そしてホンダはこのN360で量産メーカーになる。休日ともなれば家族4人が乗ったN360が高速道路を疾駆する光景がそこかしこで見られるようになる。

その一方で若者たちは車高を落としたり、エンジンをチューンナップしたりとN360を楽しみ、「エヌッコロ」と呼び、「プアマンズミニ(エヌ)クーパー」とも称されるようになる。そんな動きをホンダは察知。1968年2月にタコメーターを備えたSタイプを、そして9月には高性能版T(ツーリング)タイプを追加していく。Tタイプは2連CVキャブを備え最高出力36psを発揮し、リッター100psを実現する。これを機にライバルたちを巻き込んでパワー競争時代に突入することとなるのだった。当時スポーツ“N”に夢中だった若者は今や70歳前後のお爺ちゃんになっているはず。

今振り返れば操縦性は荒かった。インパネシフトだったがオートバイ的なドグミッションで、回転さえ合わせればクラッチを踏まずとも操作できた。まさにオートバイ感覚だったのだ。前輪が引っ張るFFは新鮮だった。雪道でも思いの外「走れた」のを憶えている。

1969年1月に大掛かりなマイナーチェンジを行いNⅡに進化する。これに伴いフロントグリル中央のHマークは大型化されレッド地が施される。現代のタイプRに通じるレッドである。

このNⅡの36ps版ツーリングSはブラックメッシュグリルにフォグランプを備え、今見てもめっちゃカッコ良い。ホンダSシリーズを除けば、ホンダスポーツの原点はここにあったような気がする。量産車をベースにしながらスポーツを求めるという点が、である。

 当時、NⅡのグリーンのツーリングSが欲しかった私。この9月にイエローのN-ONEツアラーを中古で購入。乗るたびに青春を取り戻している。

連載「ホンダ偏愛主義」を1から読むならこちらから。

This article is a sponsored article by
''.