戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、ホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は、マイク・ザ・バイクの異名を持つ偉大な英国人ライダー、M.ヘイルウッドです。

最初のタイトルは、プライベーターの立場で獲得!

スタンレー・マイケル・ベイリー・ヘイルウッドこと、マイク・ヘイルウッドは、1940年4月にオックスフォードシャーで生まれました。英国有数の2輪ディーラーであるスタンを父に持つマイクは、幼いころからバイクに親しみ、17歳だった1957年からはロードレース活動をスタートさせました。

天性の才能を持つマイクはめきめきと英国ローカルのレースで頭角をあらわし、1958年には世界GPデビューを果たします。このシーズン、マン島TT250ccクラスではNSUスポーツマックスで、そしてスウェーデンGP350ccクラスではノートンマンクスで、ともに3位表彰台を獲得しています。

裕福な家庭に育ったマイクを指して「アイツは金があるからいいマシンに乗れる・・・」と嫉妬をむき出しにする者もいましたが、唯一無二の2輪・4輪GP覇者である偉大なジョン・サーティーズは、彼は将来のチャンピオンになる才能の持ち主だと、マイクの実力を高く評価していました。

1959年にはドゥカティのトリアルベロ(3本カムシャフト)に乗り、アルスターGP125ccで自身初のGP優勝を達成! その後も順調にキャリアを積み重ねていくことになります。

1960年、ドゥカティの250デスモツインに跨る若きマイク・ヘイルウッド。左は父スタンで、右はドゥカティから派遣されたメカニックのオスカー・フォレサニです。

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マイクとホンダのつながりは、プライベーターとマシン提供者の関係で始まりました。1961年にマイクは、父スタンが名チューナーのビル・レーシーらを雇用して運営するエキュリー・スポーティヴというチームで活動していました。500ccクラスはノートンマンクス、350ccクラスはAJS 7Rといった英国製単気筒市販レーサーに乗ったマイクですが、250ccと125ccに関しては戦闘力の高いマシンが使えないことが、当時のエキュリー・スポーティヴの悩みのタネでした・・・。

そこでマイクの父スタンは、息子のためにホンダのワークス125、250ccを貸与してくれ、とホンダチームに直談判します。この交渉は見事成功し、マイクはホンダRC145(2気筒125cc)とホンダRC162(4気筒250cc)で1961年のGPシーズン途中からGPで戦うことができることになったのです。

当時のホンダワークスに起用されていた外国人ライダーはトム・フィリスとジム・レッドマンであり、今でいうサテライト的扱いなエキュリー・スポーティヴに貸し出されたのは、125ccと250ccの車両1台ずつと、わずかなスペアパーツだけでした。

しかし、ホンダパワーを得たマイクは、この年のマン島TTでそのポテンシャルを爆発させました。125ccc、250ccでホンダに乗り2勝! 500ccクラスはノートンで1勝! 惜しくも350ccクラスはAJSにトラブルが発生し勝利を逃しましたが、ひとつのTTウィークでハットトリック=3勝を達成する偉業で世界の度肝を抜いたのです!

ホンダRC145(空冷並列2気筒DOHC4バルブ)に乗り、1961年マン島TT125ccクラスに勝利したM.ヘイルウッド。

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その後マイクは、ホンダワークスのレッドマンやフィリスを相手に、ダッチTT、東ドイツGPでも勝利。そして迎えたスウェーデンGPでもタイトル争いのライバルであるレッドマンを下して優勝。見事プライベーターの立場で、ホンダに初となる250ccクラスのタイトルをもたらしました!

MVアグスタを経て、1965年最終戦からホンダワークスへ加入・・・

1961年TTでの大活躍などから、マイクの才能を高く評価したMVアグスタは、新たなエースライダーとしてマイクと契約を結びます。そして同年のイタリアGPからマイクは350/500ccクラスはMVに乗ることになるのですが、同時に250ccクラスはプライベーターの立場でホンダRC162を走らせていたわけです。

近年のMotoGPと異なり、当時のGPでは複数クラスのエントリーが認められていました。1962年以降マイクは350/500ccはMVアグスタのエースとして活躍しますが、250ccではベネリやMZ、125ccはMZや英国のEMCで走っています。

1965年までのMV時代、マイクは4度最高峰500ccクラスのタイトルを獲得します。しかし、MVの1stライダーの座をマイクから奪ったイタリア人ライダーのジャコモ・アゴスチーニのサポート役を、1965年最終戦日本GP350ccクラスで果たしたのを、最後にマイクはMVを去りました。

そしてその日本GP250ccクラスでマイクは初めてホンダ6気筒に乗り、久々のホンダに乗っての優勝を記録しました。マイク・ヘイルウッドとホンダ6気筒という、1960年代のGPを代表するコンビネーションの伝説が、この瞬間から始まることになります。

画像: 1967年マン島TT350ccクラス、ホンダRC174(空冷並列6気筒297cc)で勝利へ爆走するM.ヘイルウッド。この年のTTでヘイルウッドは250、500ccクラスも勝利し、自身2度目となるTTハットトリックを達成しました! www.honda.co.jp

1967年マン島TT350ccクラス、ホンダRC174(空冷並列6気筒297cc)で勝利へ爆走するM.ヘイルウッド。この年のTTでヘイルウッドは250、500ccクラスも勝利し、自身2度目となるTTハットトリックを達成しました!

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翌1966年にマイクはホンダ6気筒(3RC165、RC166)に乗り、250ccクラスでシーズン11戦10勝という大記録を樹立! 350ccクラスには4気筒のRC173に乗り6勝をマークし、ホンダでのタイトル数を3に伸ばします。

1967年はフィル・リードとビル・アイビーという強敵が、戦闘力を高めたヤマハRD05(2ストローク水冷V型4気筒ロータリーディスクバルブ)に乗ってマイクのホンダ6気筒と激闘を繰り広げますが、僅差でマイクが250ccクラスのタイトルを防衛! そして350ccクラスは、フルスケールには満たない297ccながら6気筒となったRC174でMVアグスタ3気筒に乗るG.アゴスチーニを下し、こちらも防衛に成功します。

1966〜1967年にヘイルウッドは、ホンダ初となる最高峰500ccクラスのタイトル獲得にも挑みますが、1965年はホンダ初の500ccクラスのメーカータイトル獲得には貢献するもののライダータイトルは惜しくも逃し、1966年はメーカー/ライダータイトルともにアゴスチーニとMVアグスタに奪われる結果に終わりました。

ホンダは1967年限りで第1期GP活動を停止したため、ホンダの最高峰500ccクラス王者誕生は1983年まで待つことになってしまいました・・・。なお、マイクはその後4輪レースに活動の軸足を移し、1978年のマン島TTで劇的な復活勝利をドゥカティ900で達成! 一大センセーションを巻き起こしたことは、多くのロードレースファンの知るところでしょう。

画像: 1967年、ダッチTT(アッセン)でのM.ヘイルウッド。 en.wikipedia.org

1967年、ダッチTT(アッセン)でのM.ヘイルウッド。

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マイクはドゥカティ、ノートン、MVアグスタ、そしてMZ・・と、ホンダ以外のマシンでもGP勝利数を稼いでおり、その通算勝利数は76勝で王者獲得回数は9回! となります。しかし、その内の過半数以上となる41勝と5度のタイトル獲得という業績をホンダに乗ってマイクが達成したことは、今も多くのホンダファンが"マイク・ザ・バイク"を愛する理由のひとつに違いありません。

こちらの動画は1961年TTのホンダチームの様子をおさめたもので、マイクほか多くのホンダライダーが登場する興味深い内容です。ぜひご覧ください。

画像: HONDA - Isle of Man TT - Golden Years - Jim Redman - Mike Hailwood youtu.be

HONDA - Isle of Man TT - Golden Years - Jim Redman - Mike Hailwood

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