戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回は、ホンダ唯一の50ccクラスタイトル獲得に貢献した北アイルランドの英雄、ラルフ・ブライアンズです!

幅広い階級で活躍した才能あるライダー

1941年、北アイルランドのベルファストに生まれたブライアンズが初めてバイクに乗ったのは16歳のときで、当時組立工のアプレンティス(見習い)だった彼のバイクはBSAの2ストローク単気筒の小型車、バンタムでした。

そして1959年から彼はレースに出るようになるのですが、翌1960年にはバンタムの車体にトライアンフ・テリア(4ストローク150cc単気筒)を搭載したマシンでアイルランドの200ccクラスチャンピオンになりました。

彼の才能に目をつけた保険ブローカーのジェームズ・ウィルソンは、1961年にブライアンズのスポンサーとなります。350ccのマンクスノートン(単気筒)という本格市販レーサーを得たブライアンズは、トミー・ロブらライバルと切磋琢磨しライディングの腕を磨きました。そして1962年には初めてマン島TTとアルスターGPに挑戦と、順調にキャリアを積み上げていきました。

才能溢れるブライアンズに、最初にワークスシートをオファーしたのはスペインのブルタコでしたが、両者の関係は短期間で終わり結局ホンダがブライアンズを獲得することになります。

1964年、ブライアンズは50ccクラスで3勝してランキング2位、125ccクラスでは3位表彰台を3度獲得してランキング5位、そして250ccクラスでは地元アルスターGPのみ参戦して3位表彰台、という優秀な成績をおさめました。

1965年日本GP50ccクラス、ホンダRC115(4ストローク2気筒)同士のバトル! ゼッケン8はL.タベリで、ゼッケン2がR.ブライアンズです。

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1965年日本GP(鈴鹿サーキット)125ccで、ホンダRC148(4ストローク5気筒)に乗るR.ブライアンズ。

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ホンダ唯一の50ccタイトルを記録!

そして1965年には、1962年のクラス創設以来、2ストロークのスズキにタイトルを独占され続けていた50ccクラスで、ブライアンズは3勝をマークして見事チャンピオンとなりました。

部品の少なさゆえのフリクションロスの少なさなど、50ccという小排気量では圧倒的優位な2ストローク勢を破ってのタイトル獲得は、非常に価値があるものです(その後、1983年まで存続した50ccクラスで4ストローク車でのタイトル獲得は、ブライアンズの例が唯一となりました)。

1967年の東ドイツGP250ccクラスで、ホンダRC166(4ストローク6気筒)に乗るR.ブライアンズ。後方はヤマハRD05(水冷2ストロークV型4気筒)を駆るビル・アイビー。

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画像: ホンダがGPから撤退した1968年のノースウェスト200をホンダ・シックスで走るR.ブライアンズ。 www.northwest200.org

ホンダがGPから撤退した1968年のノースウェスト200をホンダ・シックスで走るR.ブライアンズ。

www.northwest200.org

50cc、125ccの両クラスの参戦を1966年限りでホンダが止めるとことになり、1967年のブライアンズは250ccと350ccクラス走ることになります。チームメイトは大エースのマイク・ヘイルウッドでしたが、全13戦参戦した250ccクラスでは2勝を記録。そしてアルスター、イタリア、日本の3戦を走った350ccクラスでは順に2位、1位、2位と安定した成績を残しています。

50ccから350ccクラスまで、幅広い階級で活躍したブライアンズは卓越したオールラウンダーとして、ホンダに乗ったチャンピオンの系譜のなかで輝いているライダーでしょう。

なおブライアンズは2014年、スコットランドの住まいで72歳で亡くなっています。50ccクラスで7勝、250ccクラスで2勝、そして350ccクラスで1勝・・・彼がGPで記録した通算10勝は、すべてホンダのワークスRCレーサーで得た勝ち星でした。

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